LIFE STYLE CREATION FOR MEN'S

エリッククラプトン&パティボイド(70年代ロックとファッション)

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1960年代の終盤、クラプトンとハリスンは親しい友人となり、作曲やレコーディングを共に行うようになった。クラプトンがボイドに恋に落ちたのはこの頃とされている。クラプトンはまたボイドの17歳の妹のポーラにも恋をし、彼女自身も彼に引かれていた。しかしポーラはいとしのレイラを聞いてクラプトンの元を去った。クラプトンがポーラを姉の代わりとしていたことが、その曲から明らかであったからである。ボイドは1970年代の前半に彼女がクラプトンのアプローチを拒絶した後、彼がヘロイン中毒に陥り、アリス・オームズバイ・ゴアと三年間放浪したと発言している。一方で、クラプトンのデレク・アンド・ザ・ドミノスの唯一のスタジオアルバムであるいとしのレイラは、彼のボイドに対する愛を明らかにするために書かれたものであった。アルバムは同名の曲「いとしのレイラ」を収録しており、この曲は30年に渡って二つのヴァージョン共にヒットした。


ボイドと過ごしていた1977年6月、スイスのヴェッツィコーンのアイシャル・シアターにてライブを行うクラプトン
二人は1979年に結婚。外面的には完璧なカップルであったが、結婚生活は争いに満ちていた。ボイドは飲酒および薬物の使用を認めているのにも関わらず、クラプトンとは違い彼女はアルコール依存症や薬物依存症になることはなかった。ボイドはクラプトンがアルコール依存症の治療を試みなくなったことで彼から去ったと述べている。そして彼女は、写真家のウィル・クリスティーと付き合うようになる。1984年にクラプトンはイボンヌ・ケリーと一年に渡って関係を持ち、1985年の1月に彼女との間に娘のルースが産まれた。クラプトンとケリーは娘の誕生について一切公表しておらず、1991年に行われたクラプトンの息子のコナーの葬式まで彼の子供と明かされなかった。ボイドは「最も傷ついたのはエリックが最初から子供のことを知っていたこと。彼は私への愛がまだあると復縁を迫っていた一方で、イボンヌに養育費を六年にも渡って支払っていたの。ボイドはクラプトンのアルコール依存症と結婚前から始まっていた幾度もの情事を数年間耐えた上で、彼と離婚したとしている。結局、クラプトンのイタリア人モデルのロリ・デル・サントとの浮気が決め手となり、クラプトンとボイドは1989年に離婚した。ロリ・デル・サントは1986年にコナーを出産していた。またボイド自身は体外受精を試みたにも関わらず、妊娠することができなかった。ボイドとクラプトンは離婚原因を「不貞行為(infidelity and unreasonable behavior)」としている。二人の関係が散々なものだったのにも関わらず、二人はその後数年に渡り友人であり続けた。 
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by Saika123 | 2012-09-21 15:40 | 70年代ロックファッション
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