子供時代の僕のバックボーンには常にピカソの存在があった。小学校の図工の教科書にのっていたピカソの抽象画に僕は夢中になった。こういう絵なら僕にも描ける!単純にそう思ったからだった。ピカソの絵を見ていると自分も絵を描きたくなる衝動を感じた。こういうことが美術に対するきっかけとなった。子供の頃はダビンチの絵画には一度も興味をもったことがなかったしセザンヌを始めとしたモネなどの印象派にも興味などなかった。
今でも同じ感性が子供時代から変わらない事がある、それは、自分の気に入った絵画をみると、自分も描きたくなる衝動になってしまうことだ。それは子供時代にピカソの絵をみて、自分も描きたいと思った、あの頃の感受性と同じだ。
ピカソの作品の全てが好きなわけじゃないんだ!僕が好きなピカソのほとんどが女性を描いたものであるということでもある
一般的に必ず言われる事がある。ピカソは最初から抽象画だったわけではなくて、写実も凄いんだと言う事、それは技術に裏付けされたことがあるという事だ。僕は子供時代から大人にそういうことを聞かされる度に思っていた。ピカソの最大の汚点は写実的に描いた作品を捨てないで残したと言うことだ!ピカソの写実の絵画を観る度に僕はがっかりするんだ。なんでこんなもの描いたんだろうって!こんなつまらない絵なんてピカソじゃない!!そういうふうに子供時代に思っていた事だった。
ピカソの実際の写真を見て思う事は、この人、ほんと美術を愛していたんだということがいつも感じる。ピカソの顔の相にそう感じるんだ。ピカソは美を誰よりも知っていた。ピカソみたいな絵を描けるようになりたいんじゃなくて、僕はいつもピカソのように生きていきたいと思ってきたんだ。