LIFE STYLE CREATION FOR MEN'S

カテゴリ:60年代ファッション( 175 )

60年代ロックとファッション

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TAKE6ジャケット

変わりボタン スウィンギン・ロンドンジャケット ダークブラウン
ジャケット 

1960年代後半、カーナビーストリートにあった伝説のブティック「Take 6」のSwingin' Londonらしいスゥエードジャケットです。フロントは、9個のボタン留めでウエストまでのハーフボタン、袖は五個のボタン留めです。

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by saika123 | 2014-12-23 13:02 | 60年代ファッション

ウラジミールヤコブスキー

ウラジーミル・マヤコフスキー
Влади́мир Влади́мирович Маяко́вский
ご存知ロシアの伊達男!いや、詩人、マヤコフスキーです。若かりし頃からあまりのかっこよさに腰を抜かしますね。とにかく着こなしがやばいくらいかっこいいんです。

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by saika123 | 2014-10-09 10:02 | 60年代ファッション

メンズヘアカタログ

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かっこ良ければなんでもいいんじゃないの!!

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by saika123 | 2014-05-29 19:20 | 60年代ファッション

ロックとファッションとアートな日々

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今年はビートジェネレーションの1年!昨年もたくさんのビートの効いた10代〜40代までのメンズのお客様に初来店して頂きました。SAIKAにはホント、ROCKが大好きな男性が集まってくるんですね!嬉しい限りです。昨年まではブリーチしたハイトーンカラーのオーダーも多かったし、結構強めのパーマのオーダーも多かったですね。SAIKA では定番のモッズ系のマッシュルームカットはもちろん、グラムロック系のマークボランのハードパーマや襟足の長いトップショートの70年代前半のデビッドボウイのヘアスタイルのオーダーも相変わらず昨年は多かったように思います。今年はどんなヘアのオーダーが多いのでしょうか?愉しみです!

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by Saika123 | 2013-01-02 20:42 | 60年代ファッション

ロックとファッションとアートな日々

スニーカーしか履かない!と言っても過言ではない僕ですが、特別に革靴やブーツなど嫌いというわけではけしてなくて、どうもスニーカーしか子供の頃から履いていないということが正しいかもしれません。スニーカーへの愛着とこだわりは、すでに小学生の頃からあって、母親が買ってきたスニーカーは子供の頃はすでに履かないというこだわりがありました。はきごこちよりデザイン重視でした。そういう僕は、あの80年代のDCブランドブーム時期もバブル時代もずっと周りなど気にする事もなく、スニーカーひとすじで過ごしてきた一流のスニーカーマニアでもあったんですよ


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adidas nippon(アディダスニッポン) スニーカー 中古 60年代


60年代頃のアディダスニッポン・レザースニーカーです。
西ドイツ製のヴィンテージアディダスです。
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by saika123 | 2012-11-20 08:48 | 60年代ファッション

ロックとファッションとアートな日々

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フランスの写真家であり画家であり人形作家として最後のシュールレアリストとしてブルトンに賞賛されたピエールモリニエ!アメリカンエロティックとは別にいかにもフランス的な雰囲気がある。エロとビューティの違いは一般の人の目にはわからない事が多い。例えばポルノティックとエロティックの違いのようになにが芸術的なものかは知らされないことが多い。

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by saika123 | 2012-10-31 21:28 | 60年代ファッション

ロックとファッションとアートな日々

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1964年:全米デビュー。そのすぐ後に初の全米ツアーを行うも、そのほとんどがガラガラという状況だった。それでも、ストーンズは積極的にメディアへの露出・ライヴ活動を行い、徐々にその人気に火がつき始める。しかしアメリカでの成功が本格化していない頃、本国イギリス、ならびにヨーロッパにおいては、すでに人気を獲得しており、イギリスではデビュー・アルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』が12週連続No.1に輝いている。
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1965年:ジャガー/リチャーズ作品として(当時、キース・リチャーズはファミリー・ネームをリチャードと名乗っていて、1970年代後半にリチャーズに戻した)、シングル「サティスファクション」が自身初となる全米で4週連続No.1となる。以後、このソングライターチームによって何曲もの大ヒットナンバーを生んでいる。
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1967年:キースの自宅が警察により捜査され、麻薬容疑の証拠品を押収。後に、ミックとキースが有罪となる。同年、ブライアンも麻薬不法所持で逮捕される。以降10年以上に渡り、ミックと特にキースは同容疑で何度か逮捕される。
同年、レコードデビュー前に交わされたアンドリュー・オールダムとのレコードプロデュース契約を解除し、以降の自己プロデュース作品(その初作品は『サタニック・マジェスティーズ』)を発表。
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1968年:プロデューサーにジミー・ミラーを迎え、製作されたアルバム『ベガーズ・バンケット』を発表。このアルバムの冒頭に収められたナンバー「悪魔を憐れむ歌」は、「歌詞が神を冒涜している」という宗教団体からの抗議が起こり、このアルバムが大量に燃やされるという事件があった。このナンバーのレコーディング風景はジャン=リュック・ゴダール監督によって『ワン・プラス・ワン』というタイトルの音楽映画として記録されている。しかし、このアルバム自体はとても充実したセッションであったことが後年メンバーに語られており、オープン・チューニングによるギターリフが印象的な楽曲「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」が録音・発売され大ヒットを記録している。同曲はアルバムにこそ収められてはいないが、このアルバムセッションの際に生まれたナンバーである。
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1969年6月:67年頃から公私ともにトラブル続きで、精神的に疲労していたブライアンの正式脱退表明。後釜には、ジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズ出身のミック・テイラー(以降、「テイラー」)が決定。
同年7月3日:ブライアンが、自宅のプールで死体で発見される。ちなみにブライアン邸は『クマのプーさん』の作者として有名なA・A・ミルンが以前住んでいた家でもある。
同年7月5日:新生ストーンズとして以前から計画中だったハイドパークでのフリー・コンサートを「ブライアン追悼公演」として開催する。
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同年12月6日:秋から始まった久々の全米ツアー最終公演にカリフォルニア州オルタモント・スピードウェイで行われたラヴ&ピースというテーマのもと行われたフリーコンサートで、警備に雇った暴走族ヘルズ・エンジェルスが観客の黒人青年(メレディス・ハンター)を刺殺するという惨劇が起こる。「オルタモントの悲劇」である。
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by saika123 | 2012-10-31 17:45 | 60年代ファッション

ロックとファッションとアートな日々

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1962年7月12日、ローリングストーンズはマーキー・クラブでマディ・ウォーターズの曲名そのままに「ザ・ローリン・ストーンズ The Rollin' Stones」として最初のギグを行った。ラインナップはジャガー、リチャーズ、ジョーンズ、エルモ・ルイス(ギター)、ピアノにスチュワート、ベースにテイラー、ドラマーはミック・エイヴォリー(後にキンクスに加入)であった。ジョーンズとスチュワートはシカゴ・ブルースを演奏したがったが、ジャガーとリチャーズが好むチャック・ベリーやボ・ディドリーの演奏にも同意した[15]。ビル・ワイマンは1962年12月に加入し、チャーリー・ワッツは翌月の1963年1月に説得されて加入、バンドのリズム体が確定した。ビルがメンバーに引き込まれた理由が、「当時、大出力のベースアンプを所有していたから」という、ジョーク交じりの他メンバーのインタビューもあった。当時のストーンズのマネージャー、ジョルジオ・ゴメルスキー(英語版)はクロウダディ・クラブに日曜日の午後のステージを固定した。ゴメルスキーはクロウダディ・クラブが「ブルースの国際的なルネッサンス」の引き金となったと語った。マージー・ビーツ・ブームの到来と共に、ゴメルスキーはクロウダディでのショーをスウィンギン・ロンドンの到来の有力な側面と記した。
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ビートルズのパブリシストであったアンドリュー・ルーグ・オールダムがバンドのマネージャーに就任したが彼は19歳とバンドのメンバーより若く、エージェントのライセンスを取得するのが不可能であった。従って、オールダムの母が息子に代わってサインをし、オールダムとベテランのブッキング・エージェントであるエリック・イーストンの間の協力関係が築かれた]。ゴメルスキーはバンドとの契約書を交わしておらず、オールダムがマネージャーになることは相談されなかった[。オールダムはバンド名の綴りを "The Rollin' Stones" から "The Rolling Stones" へ変え、リチャーズの姓も「もっとポップに見えるから」と「リチャード」と変えさせた。スチュワートはオールダムの構想に合わず、ワイマンによれば「かわいくてやせっぽちの長髪の少年は1963年5月にメンバーから外されロードマネージャーとなり、1985年に死ぬまでバンドのピアニストを担当した。」とのことであった。
彼らは新しい演奏、作曲とレコーディングの完全なコントロール、マスターテープの所有権に対するロイヤリティとして当時の典型に対して三倍の額を得ることができた。
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またデッカとの契約でオールダムはデッカのスタジオでは無くリージェント・サウンド・スタジオを使わせることにした。リージェントはモノラルの設備で、音響処置のため天井は卵ケースが貼り付けられ、都合の良いスタジオとなった]。オールダムはレコーディング経験はほとんど無かったがストーンズのプロデューサーとなり、リージェントについて「音が漏れ出て、楽器から楽器へ、正しい方法で」音楽が作り出される「雑音の壁」と言った。リージェントの使用料は低額で、バンドは当時一般的であった3時間分を予約する代わりに、長期間にわたってレコーディングや練習を続けることができた。イギリスでのファーストアルバムでは全ての曲がリージェントで録音された。
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by saika123 | 2012-10-31 17:27 | 60年代ファッション

ロックとファッションとアートな日々

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ロック草創期の1960年代前半から現在まで半世紀近く、ストーンズは1度も解散することなく第一線で創作を続ける、ロックの代名詞的な存在である。エアロスミスやガンズ・アンド・ローゼズ、オアシスなど、ローリング・ストーンズを崇拝するアーティストは数知れない。
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ストーンズは当初ヨーロッパでの人気が高まり、間もなくブリティッシュ・インヴェイジョンの一波として北米での成功を納めた。イギリスでは22作のスタジオアルバム(アメリカでは24作)、11枚のライブアルバム(アメリカでは12作)、多くのコンピレーションをリリースし、現在までの全世界での売り上げは2億枚を超える。
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『スティッキー・フィンガーズ』(1971年)はその後アメリカで8連続No1となるアルバム群の最初の1枚であった。最新作の『ア・ビガー・バン』は2005年にリリースされた。バンドは1989年にロックの殿堂入りし、2004年には「ローリング・ストーン」誌の100組の偉大なアーティストで4位にランクされた。2008年には「ビルボード」誌の100組のトップアーティストで10位にランクされ、ビルボード ホット100では2番目に成功したアーティストに選出された。
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by saika123 | 2012-10-31 17:08 | 60年代ファッション

ロックとファッションとアートな日々

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ローリングストーンズの結成当初のリーダーはジョーンズであったが、後にジャガーとリチャーズがコンビで作曲を行いグループをリードするようになった。1969年、ジョーンズは体調不良と法律問題のためバンドへの貢献が減少しツアーへの参加もできなくなり、バンドを脱退、その3週間後にプールで溺死した。ジョーンズの後任としてミック・テイラーが加入、1974年に脱退するまで活動を続けた。その後、ロン・ウッドが加入する。ワイマンは、1993年にバンドを脱退、後任としてダリル・ジョーンズがベースを担当するようになるが、正式メンバーとしては加入していない。スチュワートは、1963年に公式メンバーから外されるが、バンドのロードマネージャーを続け、1985年に死去するまでピアニストとしてツアーやレコーディングに参加した。1982年以降は、チャック・リーヴェルがバンドのキーボードを担当している。

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by saika123 | 2012-10-31 16:57 | 60年代ファッション