LIFE STYLE CREATION FOR MEN'S

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THE ROLLING STONES 伝説

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BPBBY TROUP ルート66(1946年)

ボビートゥーループのルート66はアメリカでは定番のナンバーでもあり、フィフティーズのアメリカングラフィティ時代のご機嫌なナンバーでもあり、ツィスト&ロックンロールだ!ストーンズはこのナンバーを荒削りな雰囲気で演奏している!ミックジャガーの黒っぽい声質は1960年代のイギリスにおいてビートルズを超えた!
まさしく、ローリングストーンズのデビューアルバムは、新しいロックショーの幕開けだったのだ!1960年代のモッズ系のパブロックとストーンズはなにが違っていたのかを僕なりに検証すると、それはストーンズというロックパフォーマンスはデビューから他のバンドとは異質でもあった。ただのコピーバンドではなく、しっかりと演奏も黒っぽい!という印象を僕は感じている

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THE ROLLING STONES  (1964)

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by saika123 | 2011-08-31 18:31

ポールマッカートニーの思い出

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ジョンレノンにしろ、ポールマッカートニーにしろ、最愛の女性を得ることによってその音楽性の方向も変わっていったのではなかろうかと?僕は推測する。もしもジョンにヨーコさんの存在がなかったならジョンはロックンロール、心の壁、愛の橋やマインドゲームスのような独自のジョンらしいアルバムがもっともっとつくられたのではないだろうかと?思う。また、ポールもリンダの存在がなかったらあれだけのヒット曲はなくて、もとビートルズの一人としてのロックのあるべき方向性に進んだのではないのだろうか?そんなことを僕は考えてしまう。ヨーコさんもリンダも、もともとはミュージシャンとは無縁の存在だったし、世界最高峰の音楽家と共にステージにたつなどということはありえない話だったと思う。ジョンにしろポールにしろ、最愛の妻を世界中にアピールした。僕は子供の頃、それが素敵なことだと言う思いは、さらさらなかったし、私情を仕事にもちこむなんてロッカーとしてあるべき姿ではないと思っていた。巷では、それが理想的な夫婦関係とも言われていたりしたが、僕は子供の頃、そういうジョンやポールがうっとおしいと感じていたこともあった。ジョンの横には必ずヨーコさんがいた。ポールの隣には必ずリンダがいた。音楽専門誌でとりあげられる写真にはいつもそうだった。小学生、中学生の頃の僕は、それがとても変な人たちだと写っていたのだった。ポールマッカートニーはバンドオンザランのよく年に名盤ビーナス&マースを発表する。1975年は、ポールマッカートニー&ウィングスがいよいよ初来日のときだった。しかしチケットは発売されたが、麻薬所持でポールは来日できなかくなり、公演は中止に終わったのだ。この頃、僕は中学3年生だったのでよく覚えているが、当時、大学生になっていた次男は、このチケットを手に入れ、僕に自慢げに話していたのを覚えている。兄は公演が中止になっても、払い戻しはせずにこのチケットを記念にもっておくと当時、話していた。1980年にもポールは同じようなことがあり、いよいよ今度こそ来日公演だったが、成田空港でやはりポールは麻薬所持で入国できずに公演は中止になった。僕も次男の兄もポールマッカートニーを始めてみたのは2002年の東京ドームでの公演だった。僕は兄にチケット購入を頼まれ、初めてコンサートに兄と行った。次男の兄にとっては憧れのポールだったし、僕はそれほど期待などしていなかった。しかし、コンサートが始まると、僕が観たこれまでのどんなアーティストのライブよりもものすごいものだった。ただただ、僕は感動した。兄は、1曲目から最後のアンコール曲までたえず歌っていたし、感動し涙していた。帰りに記念にと兄はグッズコーナーで全てのグッズを購入していたが、僕はどれもこれもダサいデザインのポールのグッズはひとつも購入しなかった。僕はコンサートの帰りに、ジョンが生きていたら、ジョンも観たかったね!と話すと、兄は、ジョンはロックだから興味ないと、ぽつりと話していた。ああ、この人、ホントに根っからのポール信者なんだとそのとき改めて思ったことだった。コンサートの帰り、あの1974年に、この次男にウィングスの初めてのTV放送を見せてもらえなかったことが蘇ってきた。なんとしてでも一人であの放映を見た兄が、この言葉に全て集約されていると思ったのだった。ジョンはロックだから興味ない!!・・・・・・・・・・・この人、ほんと、あの時、僕にはポールを見せたくないのではなく、一人で楽しみたかったんだと!そう思った。でも、あの時のことは、僕は生涯、許すことはない!!ポールの初めてのTV放映を見せてくれなかった、この次男の兄のことは、絶対に許せない!!
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by saika123 | 2011-08-29 10:26

僕とポールマッカートニーの70年代EPレコード盤ヒストリー

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73年~75年当時のポールにとっては乗りに乗っていた時代だったと思う。ウィングスというバンドの存在自体がポールにとってはビートルズ以上のものになっていたに違いない。74年頃はたしか、グラミー賞も受賞している。ポールの書く新曲はどれもこれもがヒットを飛ばしていた。まさにポールマッカートニーはビートルズのポールではなく、ポップス界ロック界の最大のメロディーメーカーに成長し、その天才的な才能はとどまるところがなかった時代だったと思える

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ジュニアズファーム ポールマッカートニー&ウィングス(1974年)
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by saika123 | 2011-08-29 09:41

僕とポールマッカートニーの70年代EPレコード盤ヒストリー

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僕が中学時代に購入したポールのアルバムでレッドローズスピードウェイとバンドオンザランの2枚はロック少年期時代の思いで深いアルバムとなった。ポールは現在でも現役でアルバムもその都度にリリースしそしてライブもおこなっている。ポールの数々のアルバムの中で僕が一番聴いているアルバムがレッローズとバンドオンザランでもある。バンドオンザランはロック黄金時代の象徴する楽曲のひとつだと思う。1974年当時、ポールのすすんでいくアーティストとしての道は常に流行のサウンドとは一線を画してたし、ポールマッカートニーらしい曲というものはビートルズ時代から一環して変わっていないように思える

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バンドオンザラン  ポールマッカートニー&ウィングス(1974年)
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by saika123 | 2011-08-28 08:59

1970~1975

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僕が中学1年生の頃のあの忌まわしい事件は生涯忘れられないものとなった・・・・・・・・1974年頃、まだ、DVDもビデオもない時代、洋楽のTV放送はとても貴重な映像放映でした。まだ、アメリカントップ40も今のようなPVもまだまだ普及されていなかった時代のお話です。NHKでポールマッカートニー&ウィングスの放映が決まり、僕は物凄く興奮しその日が来るのを楽しみにしていました。ポールの映像が見れるということがどれだけ凄いことなのかなんて、ユーチューブも発達している現代では考えられないことだと思います。いよいよ、ポールのTV放映されるその日がやってきました。ところが、大のポールファンの次男は、自分ひとりでその放映を見たいがために、僕には絶対に見せないというのです!当時兄は高3でした。僕はこれには当然憤慨し、絶対観るんだ!と主張するも、力づくでも見せないと、兄はその意思を僕に見せつけてきました。いやいや、これには僕も参りました。母に口きいてもらい、兄に見せてくれる様に説得してもらっても、絶対に見せないと断固その意思を固めていました。もう、これは父に説得してもらうしかないと話したところ、父は相手にしてくれませんでした。ねぇ!!お願いだから、TV見れるように説得してくれと何度両親にお願いしても、無駄でした。いよいよ、放映時間が始まり、TVのある部屋の後ろのほうで隠れて僕は観ていると、兄は偉い剣幕をまくしたて、見るな!と物凄い形相で脅してきました。これにはさすがの僕も抵抗し、それでもあきらめずに見ていましたが、これが、どうしても僕には見せたくないという兄は早く、自分の部屋に戻れとしつこいくらいまくしたててきました。いやいや、ここまで鬼畜となってなんとしてでも見せない兄のことが信じられませんでしたね!そういう両親といえば、見て見ぬふり!!なんだよ!!なんなんだよ!!ふざけんなよ!なんで、見ちゃいけないんだよ!!異常だよ!異常だって!!僕は、これ以上、このことでごねていると、なんとなくやばいと感じ、しぶしぶ部屋に戻り、一人、泣きました。くやしくてくやしくて、ただただ、涙がとまりませんでした!!たかが、ポールマッカートニーのTV放映と思うかもしれませんが、この時代、録画なんてできる時代じゃない!この時に見なければ、見れないものだったんです!!そこまでして、このポールの放映を僕が観たかったのか!!そうです。どうしても、どうしても、見たかったのです!!僕は生涯この事件のことは忘れられないものとなったし、次男の兄を絶対に許さないと誓ったのでした・・・・・・

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by saika123 | 2011-08-27 09:33

僕とポールマッカートニーの70年代EPレコード盤ヒストリー

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70年代の初期から中期にかけてロック少年だった僕はビートルズ関連以外のロックにもかなりのめりこんでいたと思う。1974年当時のローリングストーンズは、ブライアンジョーンズも亡くなり代わりのギタリストとしてミックテイラーが加入していた。まだ新人ギタリストだったミックテイラーは美形であり、中学生の僕にはとてもカッコいい存在だった。その頃に発売されたのが山羊の頭のスープやイッツオンリーロックンロールだった。そして、ポールはこの時期、ウィングスとしてもっとも乗りに乗っていたし、バンドオンザランからのシングルカットがジェットだった。ジェットもポールならではのロックナンバーとして、この当時僕もよく聴いた曲のひとつでした

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ジェット  ポールマッカートニー&ウィングス(1974年)
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by saika123 | 2011-08-27 08:58

僕とポールマッカートニーの70年代EPレコード盤ヒストリー

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愛しのヘレンは特別、いま思えばシングルカットが必要なものだったのかが疑問が残る。この73年、74年はポールにとっては最も重要なウィングスとしてのアルバムを2枚つくりあげた。レッドローズスピードウェイとバンドオンザランだ。僕はこの2枚のアルバムこそがポールマッカートニー&ウィングスとしての最高傑作だと考えているところがある。1973年、74年という年代は世界的にもロックの黄金期を迎えていた。クィーンの登場やレッドツェッペリンのアメリカでの大成功、そしてTREXやデビッドボーイが最も輝いていた時代にあった。そんな73年、74年に作り上げたポールのアルバムは他のロックとは全く別世界のものだった。いや、僕がポールを他のアーティストとは別格に考えてたという意識もあるかもしれないが、今、聴いても、ポールのこの時代のアルバムは他のロックとは違う!それが、ポールマッカートニーと言う由縁でもあると思う。

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愛しのヘレン  ポールマッカトニー&ウィングス(1973年)
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by saika123 | 2011-08-26 09:14

僕とポールマッカートニーの70年代EPレコード盤ヒストリー

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007死ぬのは奴らだのサントラ盤を担当するとはさすがに驚きでしたね!ショーンコネリーの007からこの映画からロジャームーアにジェームスボンドがかわった映画でした。そういう意味では僕にとってジェームスボンドといえば、ロジャームーアという思い出がかなり深いんです。確か中1か2、でこの映画を観たんですが、ポールのつくる007の音楽は、おーっ!て感じで雰囲気ばっちりだとその当時感じましたね。さすがポールだと思いました。ポールの天才的な作曲能力は、こういうところにあるんじゃないでしょうか?僕は、この曲で、やられた感がありましたね


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007死ぬのは奴らだ! ポールマッカトニー&ウィングス(1973年)
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by saika123 | 2011-08-25 09:42

僕とポールマッカートニーの70年代EPレコード盤ヒストリー

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1973年のマイラブはポールマッカートニーらしいラブソングではないでしょうか!これぞポールの楽曲。そんな感じがします。この頃、僕は13歳でしたが、ジョンレノンよりビートルズらしいと思っていたのがポールでした。それはジョンはソロに転向してから、オノヨーコの影響でビートルズらしさ?というのが消え去っていくように感じていたからでした。しかし、ポールはリンダマッカートニーという伴侶を得てもポールらしさというものが消えなかったし、ポールもまたジョンとヨーコのようにリンダと常に仲むずましいところはいつも見せつけられていましたが、ジョンとヨーコの仲むずましいとは意味が少し違うように僕は感じていました。それは、ヨーコさんはアーティストとしての影響力があるのに対しリンダはポールに対してのアーティストとしての影響力よりも愛情としての影響力があったからのように思っていました。もちろんヨーコさんはジョンに対し愛情表現がなかったということではなくて、ヨーコさんはジョンの芸術に自分の芸術もいれこんだというてんにおいて、ポールのつくりあげていく音楽とは違う方向性にジョンは向かっていったのだと13歳の頃、そう僕は考えていました

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マイラブ  ポールマッカートニー&ウィングス(1973)
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by saika123 | 2011-08-24 09:34

僕とポールマッカートニーの70年代EPレコード盤ヒストリー

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72年リリースのハイハイハイはポールのロックナンバーでしたね。これこそがポール流のROCKという感じがします。ヘビーではない。ロックンロールでもない。R&Bでもない。やっぱり、ポールのつくるロックは誰にも真似のできない作曲の方法があるのでは「ないかと?そんなふうに思ってしまいます。ポールのファンはやっぱりジョンレノンのロックではハードすぎる?ヘビーすぎる?そんな風に考えてしまうのは、ポール流のロックが心底すきだということだとおもえてなりませんね!

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ハイハイハイ ポールマッカートニー&ウィングス(1972年)
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by saika123 | 2011-08-22 22:53